本当は写真家ではなく、彫刻家になりたかった。
 
――田沼先生が写真家になられた理由はどのようなことからですか?


 私の実家は東京の浅草で写真館を営んでいました。写真機や当時としては珍しかった海外の写真雑誌が身近にありました。太平洋戦争が始まる前でしたが、結構繁盛していました。特に印象に残っているのは七五三の時。朝から夜の9時頃までお客さんが途切れることはなく、1日に100組以上を撮影していました。
 でも、写真館を継ぐ気持ちは全くありませんでした。実は小学校の頃から図工などが得意で、常にいい成績だったこともあって、彫刻家になりたいと思っていたのです。しかし、戦争中ということもあり親に反対され、そこで、今度は建築家を目指しました。
 建築家になるために進学を希望した学校では内申書が重視されていました。第一次選考は内申書の審査で、それを通った者が最終的に受験できるシステムです。
 ところが、私は中学校で軍事教練の成績がよくなかったので、見事に第一次選考で落とされてしまいました(笑)。一年間浪人して翌年に再び受験したのですが、内申書は変わりません。やはり第一次を通過することができません。
 そこで目標を変えて、東京写真工業専門学校(現・東京工芸大学)を受験して入学しました。家業の写真館の手伝いを子どもの頃からしていたので、結局はこれが自然の流れだったように思えます。
 振り返ってみると、彫刻家・建築家、そして写真家と、モノを創り出すことに興味があったようです。
 でも、最初の1年間はあまり学校へ行かず、もっぱらアルバイトに精を出していました。


【高幡不動のアジサイ】アジサイは雨の日が似合う花だ。ところが花の盛りに雨が降るとは限らない。自然を相手に撮影する風景写真の難しいところだ。観客の邪魔にならぬよう早朝に撮影をした。老僧の手入れによって切り落とされた花が花道を作り風景を盛り上げていた。
■カメラ:キヤノンEOS-5 レンズ:EF17-35mm F2.8L USM  絞り:f8-5.6の中間 シャッタースピード:1/125 フィルム:RDP 撮影地:東京都日野市

――どのようなアルバイトをされていたのですか?


【クロイトトンボ】高麗(こま)の巾着田は赤い彼岸花が咲き競うお花畑に変身して沢山の観光客を集めている。あまりにも人工的になりすぎて風情がないので小川を飛ぶクロイトトンボを撮影した。緑の葉にとまるトンボは夏の風情を感じさせる。
■カメラ:キヤノンEOS-5 レンズ:EF35-350mm F3.5-5.6L USM  絞り:f5.6 シャッタースピード:1/250 フィルム:RDP 撮影地:埼玉県日高市

 この時のアルバイト先が、極東軍事裁判所でした。当時は戦争も終わり、アメリカをはじめとした連合国が、戦争に関わった日本人を裁く極東軍事裁判が行われていました。そこでは裁判用の資料を複写するセクションがあり、その業務を担当していました。
 当時としては破格のアルバイト料だったと思います。後に学校を卒業して、サンニュース・フォトスの社員として勤めた時の給料の方が少なかったのです。
 しかし、このような生活をしていたのではダメになると思い、2年生の時に将来のことを考え、グラフジャーナリズムの道に進むことを決めました。その原点にあったのがアメリカの写真週刊誌「LIFE」でした。
 だからサンニュース・フォトスに入社した理由も、写真週刊誌「週刊サンニュース」を発行していたからです。ところがなんと、私が入社した前月に休刊になってしまいました。
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