奥尻島ではちょうど10日間の撮影を終えた時でした。そのまま雲仙・普賢岳の撮影に行かなければならなかったので、奥尻島から長崎に全ての機材を送るつもりでした。送り出す手配をしていた夜に北海道南西沖地震が起きたのです。
私は壊滅的な被害を受けた青苗地区に宿泊していました。100軒ほどの集落でしたが、津波の力は凄まじく、あらゆるものを一瞬にして破壊してしまいました。私もニコノスを除いた機材すべてを失いました。でも、一番ショックだったのは、大勢の地元の方が亡くなったことでした。何故、自分が助かって昨日まで元気に挨拶をかわしていた住民の方が亡くなってしまったのか。生と死について非常に考えさせられました。
それまで海からはいろいろな恩恵を受けてきた私でしたが、この時はさすがに海に対して“それはないだろう”という恨みにも似た気持ちになりました。機材も流されてしまったので、もう写真家を辞めようと思いました。それから数ヶ月間は、『何で自分が生きているのか?』と、しばらく放心状態でした。やがて、気持ちが少し落ち着いてきた時に、“助かった”のではなく、“助けられた”のではないかと思うようになりました。『海は優しいだけじゃない。きれいなだけじゃない。時には猛威をふるうこともあるんだ。お前たち人間だって自然界の一部なんだ。それを今回は思い知らせてあげたんだ。お前にもう一度命を与えるから、その命が続く限りドキュメントの世界で、海そのものを記録に残して皆に伝えなさい』と、言われたように思えました。そうすると、助かったことに理由があると確信できました。それから再び、レンズ1本、水中眼鏡1個を買って写真を撮り始め、現在に至ります。
|
【アヤコショウダイ】全員潮流に向かい、ぎゅうぎゅうに寄り添い、ほとんど静止した状態のアヤコショウダイたち。こうして外敵から身を守っている。
■カメラ:オリンパスE-300 レンズ:ズイコーデジタル22mm シャッタースピード:1/80秒 絞り:f7.1 撮影地:パプアニューギニア |
|