修理人たぐちの徒然日記コラム・ギャラリー
2016.01.22【Vol.1309】
妙高高原から高速を下り糸魚川市に入りました。
間もなく鈍色の雲が押し寄せ雪に閉ざれるのですね!道路に設置されている融雪設備の点検をしていました。
糸魚川港で釣りをしています。腰伸ばしに降りるとサヨリを狙っています。
未だ小さいサヨリは港内で過ごし外洋に出て行くのです。チョイト前までは一束は当たり前の釣果のようで残っているサヨリを釣り上げるのに苦労すると話されました。
釣り上げると鋭い嘴を避けるのにペンチで針を外します。
魚籠には今夜の肴に十分な数が収まっていました。サヨリの刺身は美味しいです。
港から間もなくの場所に新潟一古く創業が1650年(慶安3年)と申しますから350余年の歴史ある加賀の井酒造があります。蔵前は前田のお殿様が参勤交代で通過した加賀街道です。そして敷地に本陣があったのですが焼失してしまいました。越後の地なのに「加賀」の文字が使われているのは、前田家から許された二文字であり、往時を伝える前田家から拝領した数々の品が展示されています。
蔵見学を致しますと酒米が蒸し上がったようで仕込みタンクに投入しています。
東京ではお目に掛かれ事が少なく試飲いたします。
ここで思いがけないお酒と出会うのです。酒米と言えば五百米・山田錦ですね!
精米が難しく歴史から消えた酒米「白藤」を復活させたのです。
チョイト風味に癖があります。出会いのお酒をぶら下げてきました。
後に調べると結構なお値段です。蔵見学のお礼でしょうか?可なりお得なお値段でした。
それとも勘違いしたのでしょうか?
お昼はきときと寿司で地場物の魚のどぐろを含め楽しみました。
東尋坊と親不知を混同してしまい親不知を訪れたのですが、観光客の姿は無し。ホテルはひっそりしており生物反応がありませんでした。
遠方に望むのはヒスイ海岸。波打ち際を俯きながら歩く人有り。打ち上げられたヒスイ原石を探しているのです。後に新潟展へ出展していたお店で伺いました。
数年通っても見つけられない方、思わず立ち寄った際に運良く見つけた方とヒスイ原石が転がって居るとの事でした。ヒスイ原石は硬く(硬度6.5~7:ダイヤが一番硬く10)叩くと金属音がするといいます。隠居人も小銭入れの根付けにヒスイ勾玉を付けています
佐伯泰英著:夏目影二郎始末記二代官狩の第四章騒乱親不知に記述されています。
参勤交代の道筋には中山道164里、東海道を西上する151里。費えを考えると北国街道191里に分があるのですが、最後に難所駒返しの親不知子不知が待ち受けています。
海が荒れると波除け人足六百人余が大綱を張って人垣を作り、藩主が渡ったとあります。
加賀の井の方からも同じ内容の説明を受けたのです。
日本アルプスが日本海に落ち込む地を眺めますと当時の苦難を想像させます。
親不知は平清盛の弟頼盛り夫人が親不知を通りかかった折、愛児を波にさらわれ悲しみの余り「親しらず子はこの浦の波まくら越路の磯のあわと消えゆく」と詠んだ歌が由来のようです。
再び妙高市に戻りますと直近に刈りました田圃に白鳥が落ち穂を啄んでいます。
同行者の中に詳しい方おり、観光客が皆無の地元民御用達のしみず屋に案内されました。
冬の漬け物用野沢菜5Kg一束が480円。地元民は車に満載して帰ります。
林檎もコンテナ販売です。持ち帰れば食べきれずボケてしまいます。それにしても安い!!