修理人たぐちの徒然日記コラム・ギャラリー
2015.06.26【Vol.1242】
渡良瀬川に掛かる橋梁三国橋袂で桑の実を収穫、右はじの大木が育ちに育ちました桑の樹です。これより下流に明治6年(1873年)廃城令により建造物はすべて破却された古河城がありました。防災上の観点ではありますが、一部でも移築保存して戴きたかったですね!
席の予約が難しいと、のれんを揚げる時間を見計らい和田家で昼食と致します。
福岡出身のお仲間がうなぎは蒸籠蒸しに限ります。との事で決まりです。
福岡では姿其のままを蒸し上げるようですが、ひつまぶし仕様で食べやすいように気遣いがありました。
食事後は市民ボランティアの方と合流し、説明を訊きながら古河の見聞を広めます。
最初に訪れましたのは「古河文学館」建物の仕様に見慣れた物がありました。富岡製糸場と同じく広い空間を確保するため、木材を三角形に組んで屋根を支える西欧建築の「トラス構造」ではと思いました。
柱の無い広いサロンには英国製蓄音機EMGマークXbの奏でる音色を拝聴する事が出来ます。本日はラウル・モレッティ作曲・アレクサンダー・ダンス管弦楽団の「巴里の屋根の下」で竹の針の優しく奏でる音色が心に安らぎを与えます。
竹は京都産が宜しいようで、掛ける度に摩耗した竹針を専用の鋏でカット致します。
確か?エジソンが発明した電球のフィラメントも京都産の竹を炭にして輝したと記憶しています。
古河出身の高見久太郎が創刊し、児童文学に大きな足跡を残した絵雑誌「コドモノクニ」に竹久夢二も関わっていたのですね!夢二らしい穏やかな童の顔が印象的でした。
直木賞作家・永井路子の草稿も閲覧できます。
古河歴史博物館に向かう竹塀の右側が古河城の現存する土塁です。
誰ぞ!の石塔か分かりませんが、竹林越しに土塁を望みます。静寂の中に木々の葉が擦れ、往時と同じ囁きが聞こえる気がします。
ここはタモリさんの出番ですね!ブラタモリ京都編土塁の役目と異にしますが、断片的に残る古河城土塁を取材してもらいたいものです。
古河歴史博物館に再現された大パノラマ。元博物館が出城跡の土塁に囲まれた様子が覗え、先ほど通りました土塁跡となります。
ちょいと趣に違いがありますが、人参の花を撮ってみました。
渡良瀬川・三国橋・渡良瀬遊水地花火を画したマンホール蓋。何でもマンホール女子たる言葉が存在する様で、2015年1月7日NHKアサイチでもマンホール女子を取り上げました。因みに「マンホール女子」で検索すると574,000件ヒットしました。
余分ではありますが「修理人たぐちの徒然日記」は69,000件でした。
渡辺崋山筆による鷹見泉石像は国宝で国立博物館所蔵。複製画にあってきました。
家老であった泉石は江戸末期の激動を見つめ、家老としての役割を果たそうとする眼でした。
晩年を過ごした住まいは鷹見泉石記念館として公開されています。
お寺の檀家により寄進された古河城乾門。数少ない現存する古河城の建造物です。
藩主土井利位(どいとしつら)が多忙の中、雪の結晶の観察を続け183種を纏めた「雪華図説」。一部の学校の校章に採用されています。元本は国立博物館にあり。
雪華図説をプリントしたグラスを歴史博物館で求め古河土産としました。
上品な容量のグラスに麦酒を注ぎ、雪華図を透かせば暑さも幾らかは和らぐ事でしょう。